ならば、良い方に勘違いしよう

私は中学生の頃から、

目に見えていることが

全てではないと思っています。


それは、私なりに考えてやった事が相手には理解出来なかったり、

悪い方に勘違いされる事があったからである。


その時に、人は自分で経験した事しか理解出来ないし、経験したことでしか考える事が出来ないのだと考えた。


そして、人の行いを嫌な方にしか捉えられないのは、その人自身がその行いをした時は嫌な意味で行っていたからであると思う。


よって、他者が行った行為を嫌な意味で捉えたとしても、それは、自分自身の場合の話であって、他者自身はいい意味で行った可能性もあり、嫌な意味で行った可能性もある。その答えは、行動を行った人自身しか知る由はなく、それ以外の者には知り得ないと思う。

その為、自分が嫌な意味で捉えたからと言って、その行動を行った者もそうだと思い込むことは、甚だ迷惑なことである。

そんな事で「あいつは信頼できない。」だの、「あいつは嫌なヤツだ。」、「あいつは間違ってる。」と決めつける人は、とても視野が狭いと思う。


何故、こんな事をしたのだろう?

と、疑問に持ち、考え、質問する事が大切なのではないだろうか。


嫌な事をされて悲しむのではなく、

嫌だと伝える事や、

何故嫌な事をするのかたずねることも必要なのだろう。


いずれも勇気が必要だろう。

相手を信じる勇気。


それを実行する勇気を出す事も自分自身しか出来ない。

そうは言っても、なかなか勇気が出せないから困っているのだ。(笑)


ならばせめて、良い方に捉えた方が、勘違いした方がイライラせずに済むため、幸せであろう。他者がどういう意味で行おうと、自分自身がいい意味で勘違いしてしまえば、それが真実になる。


すぐに行動する勇気が出ない。


ならば、良い方に勘違いする事から始めてみよう。そんな事を考える今日この頃。